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研Q22.Googleロゴになった田中久重(からくり儀右衛門)の発明品を調べてみた。

仁-JIN-に登場した無尽灯(むじんとう)も田中久重の発明。

からくり儀右衛門の文字書き人形動画

グーグルホリデーロゴ(GoogleDoodle)が、田中久重生誕213周年になっています。

Googleロゴ田中久重生誕213周年(途中)

なにやらからくり人形らしきものが、筆をとって文字を書き始め、
「Google」が完成します。

Googleロゴ田中久重生誕213周年

明日以降でも動きが見られるように、YouTube動画を貼っておきます。


Animated Tanaka Hisashige Google Logo (Doodle) - YouTube

Google Doodles に保存されている実物をこちらで見ることができます。
Hisashige Tanaka's 213th Birthday

田中久重氏は久留米出身。江戸末期から明治にかけて活躍した発明家でした。

生年は寛政11年9月18日(新暦1799年10月16日)。

東芝の創設者といわれていますが、久重翁が75歳の時に銀座に設立した田中製造所を、養子の二代目田中久重が東京・芝浦に移転し、株式会社芝浦製作所としたのが東芝の前身です。

グーグルロゴのモデルになったのは、田中久重翁が制作したからくり人形「文字書き人形」だと思われます。

田中久重のからくり人形「文字書き人形」の動画


【江戸博正月イベント】からくり文字書き人形実演 - YouTube

現代のロボット工学では機械工学(メカニクス)と電子工学(エレクトロニクス、コンピュータ)を使って、ロボットの複雑な動きを実現しています。つまりメカトロニクス

電子工学がなかった時代に、からくり(メカニクス)だけでこのように複雑な動きを実現していたとはビックリです。

「からくり儀右衛門」は子供のころにNHKのテレビドラマで見たことがあります。

おもしろそうなので調べてみたら、田中久重翁は現代の科学工学から見ても驚愕の発明を数々生み出していたことがわかってきました。

・無尽灯
ドラマ「仁-JIN-」にも登場した、圧縮空気により灯油を補給するランプ。
・万年時計(万年自鳴鐘)
愛知万博(愛・地球博2005)にレプリカを出展するために100人の最先端技術者を動員して解析・復元を行ったが技術が高度すぎて博覧会開催までに解析が間に合わなかった驚異のからくり時計。


ドラマ「仁-JIN-」にも登場した無尽灯(むじんとう)

江戸時代、庶民はいわし油などを使った灯火を使っていました。
これは臭いがひどく、ものすごく暗いものだったらしいです。
「ろうそく」という、はるかに明るく使いやすい灯火もありましたが、
非常に高価でとても庶民の手に入るものではありませんでした。

そんな時代、田中久重翁は「無尽灯」という画期的な照明器具を発明していました。

あまりにも画期的だったので、あのドラマ「仁-JIN-」にも登場しています。

ドラマ「仁-JIN-」に登場した無尽灯

グラバー邸で有名なイギリスの商人グラバーさんの下まぶたの裂傷の手術。

オランダ人医師は外科手術による完治は不可能だと考えています。

仁先生は手術に関する意見を述べますが、最先端のオランダ医術と比べても
高度すぎて根拠がわからない意見。オランダ人医師は南方仁がほら吹きだと思います。

「やれるもんなら、やってみぃ。」というセリフはありませんでしたが、
グラバーさんは坂本竜馬さんの商売相手。そしてオランダ人医師にほら吹き野郎と思われては、せっかく頑張っているペニシリンの普及にも妨げになります。

失敗するわけにはいかない手術に、無尽灯のおかげ(だけじゃありませんが)で成功することができました。

オランダ人医師からは謝罪の言葉をもらい、実力のある立派な医師だという評価を得ることができました。


南方仁先生ペニシリンを普及させるために長崎に来ていました。

講演をしても医学知識がぶっ飛び過ぎてほとんど相手にされない南方先生。

そんな中、ひとりだけ講義内容に興味を持って積極的に質問するおじさんがいました。

仁-JIN-に登場した田中久重

おじさんの名前は岡田さん。じつは身分を隠した田中久重
無尽灯の開発者であります。

仁先生は現代から持っていった「電球」を田中久重にこっそり見せます。

さすがの田中久重さんは、それが何のための器具であるかを一瞬で理解できたようです。

そのような次第で、東芝がのちの世代に日本一の電球メーカーになることができた!?

いえ。これはあくまでもフィクションのお話です。

ドラマ「仁-JIN-」のこの回についてもっと知りたい方は、このサイトに写真入りで詳しく採録されています。
JIN-仁-完結編 第6話 - さくぞうとゆかいな仲間たち

注記:上の写真は当然ドラマの美術スタッフが作った小道具です。
ホンモノの無尽灯をご覧になりたい方は、国立科学博物館のこちらのサイトでどうぞ。
ランプ類|国立科学博物館収蔵 灯火器資料

世紀の大発明 万年時計(万年自鳴鐘)とは?

田中久重の万年時計 in 国立科学博物館
田中久重の万年時計 in 国立科学博物館
via WikimediaCOMMONS(Publiddomein)


江戸時代の時刻は、日の出日没を基本にする不定時法という方法が使われていました。

日の出を明け六つ、日没を暮れ六つとして、昼と夜の時間をそれぞれ6等分して、そのひとつを一刻(いっとき)としていました。

昼の時間は、夏至がいちばん長い。逆に冬至は短い。

6等分するので、おおざっぱには一刻はだいだい2時間ですが、季節によって一刻の長さがぜんぜん違う。

今考えると不便な時刻法ですが、時計がなかった当時では便利な方法でした。

江戸時代の不定時法については、このサイトがたいへんにわかりやすかったです。
江戸の時刻制度“不定時法”:お江戸の科学

江戸市中に数カ所あった時の鐘(時鐘:ときがね、じしょう)を打つお寺が六つ五つと鐘を打ちます。当時のEST(江戸標準時)を管理していたのが、上野寛永寺。
ほかのお寺は寛永寺の鐘の音を聞いて時鐘を打っていました。

正午が九つ八つ七つ六つ(日没)ときて、五つ四つ、で深夜が九つ
つづけて、八つ七つ六つ(日の出)、五つ四つ、で正午が九つ

午前中が3等分、午後も3等分しかないので、日の高さで今が何刻なのかがだいたいわかります。
太陽がいちばん高い南中の高さより3分の1低くなったら、おやつが食べられます。

当時の時間管理はその程度の精度で十分だったということですね。


ところがここに西洋式の機械時計をもってくると、ややこしいことになります。


日本に西洋式時計がもたらされたのが、フランシスコ・ザビエルによる1551年。

その後も、西洋土産として少しずつ入ってきてはいましたが、不定時法の日本ではぜんぜん実用にならなかったのです。

そこで江戸時代の時計職人たちはさまざまな工夫をして日本の不定時法に対応できる和時計を開発しました。





時計の針の速さを決めるテンプのおもりの位置(振り子時計でいうと振り子の長さ)を半月に一度調整して、針が動く速さを変えたり、
針の動きは一定で、文字盤を半月に一度掛け替えたり。

当時の技術では手動で調整するその方法が限界だったのです。


ところが、田中久重翁の万年時計は違いました。

季節の変化に応じて一刻の長さを自動的に変えることができたのです。

万年時計は、針速度が一定で文字盤を変化させる方式でした。

つまり、昼の時間が長くなると、文字盤の、六、五、四、九、八、七、六、の間隔が自動的に広がっていき、昼の時間が短くなると逆に文字盤の間隔が自動的に縮まるという画期的な仕組みをもっていました。

それを、メカトロニクスの「トロニクス」が無かった時代に、からくり(メカニクス)だけで実現していた。

機械工学の基本知識がなかった時代にすべてをひとりで考えて設計したのです。

機械工学をかじった人間にとっては驚嘆せざるをえません。

逆に、既存の機械工学にとらわれなかったからこそ、このような画期的で自由な発想ができたのだと思います。

現代の機械工学エンジニアは大学で機構学を学びます。
そこが発想の原点になってしまっている。
それってどうなの?と思ってしまいますね。


田中久重翁の万年時計は翁の死後、故障して動かなくなってしまったそうです。

もし動いていたとしても、明治になって定時法が主流になって、もう無用の長物となってしまいました。

しかし、使われていた機械工学的(からくり)の技術はすばらしいものでした。


ところが、2005年の愛知万博(愛・地球博2005)を前に、博覧会に万年時計のレプリカを出品する国家プロジェクトが実施されました。

最先端技術のエンジニア約100人を投入して、保管されていた万年時計を分解・解析。
仕組みを理解してレプリカを博覧会に展示するという企画でした。

その一部始終が動画に残されています。こちらです。


万年時計(再生リスト) - YouTube

このYouTube動画はおそらくNHKの番組で、近いうちに削除されてしまうことでしょう。
けど、こんな貴重な映像資料を国民の所有物であるNHKが削除してもいいの?

それは、人類の文化に対する冒涜にほかなりません。

100歩譲って、
コンテンツ販売のビジネスをしている企業が、無料動画を公開されるとビジネスの妨げになる。
というリクツなら、まだ理解できます。

けど、NHKってそういう営利企業だっけ?

著作権の管理責任はNHKにありますが、本来の著作権はいったい誰のものなのでしょう?


JR久留米駅前の「からくり時計」

JR Kurume station clock
 JR Kurume station clock


福岡県久留米市のJR久留米駅前に巨大なからくり時計が設置されています。

久留米出身の田中久重氏生誕200年と、久留米市制施行110周年九州鉄道開通久留米駅設置110周年を記念して1999年に設置されたモニュメントです。

この時計にはからくりが内蔵されていて、朝8時から夕方7時までの毎正時に実に楽しいからくりが動きます。


からくり太鼓時計 - YouTube

久留米の方はご存知だったと思いますが、素晴らしいからくりモニュメントですね。

ナレーションの背景に流れている音楽にお気づきでしょうか?

久留米駅前のからくり時計は、入れ替わりで久留米にゆかりの音楽が流れるようになっています。

8時、10時、16時:上を向いて歩こう
作曲者中村八大が久留米出身(生まれは中国の青島)
9時、13時、17時:赤いスイートピー
もちろん久留米出身 松田聖子さんのヒット曲
10時、14時、18時:涙のリクエスト
久留米出身のチェッカーズ
11時、15時、19時:合唱組曲「筑後川」より「河口」
久留米音協合唱団の5周年記念委嘱作品として1968年に團伊玖磨氏が作曲

上の動画は「筑後川」バージョンです。

そのほかのバージョンはこちら。
上を向いて歩こう:JR久留米駅東口モニュメント - YouTube
赤いスイートピー:JR久留米駅前のからくり時計(赤いスイートピー) - YouTube
涙のリクエスト:久留米駅からくり時計 からくり儀右衛門 - YouTube





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記事末尾110posted by +M Inamura (水村亜里)
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2012-12-21 04:09 | from -

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